月日親神様は、この世の元初まりに「人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しもう」との思召から「十全のご守護」により、この世と人間をご創造くださいました。そして今もなお、その守護は変わることなく、あらゆるものに命を与え、私たちを陽気ぐらしへとお導きくだされています。
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから 十四号
月日よりたんたん心つくしきり そのゆへなるのにんけんである 六号
私たち人間は、日々、親神様のご守護によって「生かされて」いるのです。
人間の体は、生き通しの魂に親神様から貸し与えられた「借り物」で、親神様からすれば「貸し物」です。
しかし、私たちは親神様のロボットではありません。「心の自由」を許され、自分の頭で考え、思い通りに「借り物」の体を動かして、それぞれの人生を自分の意思で「生きる」ことができるのです。
「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け」
(明治 ・2・ おさしづ)
(大意)人間の体は親神から借りているものだが、心だけは自分のものとして自由に使うことを許してある。人間は、たった一つの心の遣い方によって、日々いかなる人生も歩んでいくことになるのである。親神は人間の心遣いや行ないをそのままに受け取って、それに相応しい守護をするのであるから、人間は「心の自由自在」を許されているという意味を、よく聞き分けるように。
(大意=筆者)
これは、松尾與蔵という方が「おさづけの理」を拝戴した時に頂いたお言葉の一節ですが、今日私たちが「おさづけの理」拝戴の後に頂戴する「お書き下げ」にも同じ意味のお言葉が記されています。
これが天理教では「教えの台」「話の台」と聞かせていただく「かしもの・かりものの理」です。
めへめへのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん 三号
と、おふでさきで教えられるように、「かしもの・かりものの理」をよく心に納めることが、天理教信仰の第一歩であると申して、過言ではないでしょう。
「科学の進歩」と「人体の不思議」
ここ数十年来の近代科学技術の進歩には、目を見張るものがあります。それは医学の世界においても例外ではありません。こうした流れの中で、人間の体の構造や働きが徐々に明らかになるにつれて、人間の体というものは、我々の知見をはるかに超えた驚くべき巧妙なシステムによって維持され、営まれているものであることが分かってきました。そして、その不思議さは深まる一方です。
NHKは、自ら企画した「人体」シリーズに「驚異の小宇宙・人体」と名づけましたが、地球が属する銀河系宇宙(ギャラクシー)の恒星の数が
億個であり、一人の人体はその 倍に相当する 兆個の細胞によって形作られていることからすれば、この表現は決して誇張されたものではありません。
■母親の胎内で、卵子が父親の精子と遭遇して一個の受精卵となり、それが分裂と分化を繰り返して、出産の時には五体満足な一人の人間として産声をあげる不思議。
■両親の愛情にはぐくまれて育つ幼児が、心身ともに成長してゆくことの不思議。
■二十歳にもなれば成長が止まり、以後数十年間は、おおよその姿形と状態を保ち続ける不思議。
■人は徐々に老化してゆき、やがて必ず死を迎える、というのも不思議なことです。
初めて明かされた「身体論」
人間はなぜこのような不思議な体を持ち、何のために生命を営んでいるのでしょうか。
残念ながら、近年目覚しい進歩を遂げる科学や医学は、この問いには答えてくれません。
科学は、物事の成り立ちや働きの仕組みを解明し、人間に役立つ様々の技術を開発しますが、それをいかに利用するかは、人間個々の良心にゆだねられます。たとえば、原子力の平和利用は明日のエネルギー源となりますが、戦争に使用されると人類を滅亡させてしまいます。科学は、原子力を開発したこと自体の善悪を論じる分野ではないのです。
また、医学は病気を治療するためのもので、現代医療の多くは少しでも延命させることを目的としています。しかし、医学では手におえない病気の人々や、延命医療によって命を長らえる人々の、人生の質や意味について答を出すことはありません。
物事の価値、わけても人生の目的や意味について答えるのは、本来、宗教や哲学の役割なのですが、新発見や新技術の開発がめまぐるしいばかりに成し遂げられてゆく今日にあって、伝統的な古い宗教や哲学の世界からは、適切な解答が得られそうにありません。ここに、現代人の価値観の喪失や宗教離れの一因があるようにも思われます。
たとえば、古典的な仏教やキリスト教などには、人間の体のもつ意味について詳しく説かれた教説は無いようです。それどころか、肉体は人間を地獄へ導く欲望の住処であるとして蔑視する傾向すらあり、ある禅宗の僧侶などは自分の体を「糞袋」と呼んでいるほどです。
つまり、親神様が教祖をやしろとして、この世の真実を明かされるまでの教えには、「人間にとって身体とは何か」ということについての、奥深い教理が欠如していると思われるのです。
天理教では、「かしもの・かりものの理」という、他の教えでは明かされなかった親神様直々の「身体論」が説かれていますが、これこそ、私たちが暮してゆく上で極めて大切な教えの基本だと思います。
「身の内ご守護」を改めて学ぶ
この「かしもの・かりものの理」をよく分からせ、身に付けさせるために教えられたご教理として、「親神様十全のご守護」と、親神様の思召に添わない心づかいの「ほこり」のお話が挙げられると思います。
すなわち、「なるほど、自分の体は親神様からの借り物である」と心に感じられるようになるには、「親神様十全のご守護」を学ばねばなりませんし、自由を与えられている心の遣い方を日々に反省するよすが(手がかり)として、胸のそうじを教えられているのが「八つのほこり」であるからです。
「おさづけの理」を戴いている「教祖の道具衆」たるよふぼくであれば、「親神様十全のご守護」と「八つのほこり」そして「かしもの・かりもの」のご教理は心の底に染み込んでいて、いつでも・どこでも・誰にでも、自信をもって取り次げることが大切でありましょう。
今年は、昨年四月二十六日に真柱の理を継承された真柱様のお導きのもとに明けた「新たな門出の年」であり、現在は全教一斉の「ようぼく躍進地方講習会」が開催されています。この時旬に、信仰の基本中の基本である「身の内ご守護」について、改めて学ばせていただくのは意義深いことと考えました。
なお、天理教は決して医療を否定し、医学と対立するものではありません。「医者・薬」は人間が陽気ぐらしに至るまでの「修理・肥」であり、正しく医薬を用いた上に、よふぼくが「教えの理」と、身上(病)たすけの「効能の理」である「おさづけの理」を真剣に取次いでこそ、親神様のご守護が頂けるのです。
にんけんにやまいとゆうてないけれど このよはじまりしりたものなし 九号
この事をしらしたいからたんYZと しゆりやこゑにいしやくすりを 九号
「増補改訂版」の出版に当たって
この小冊子では、最初に、現代医学で明らかにされつつある人体の仕組みや働きを参考に、親神様のご守護の有難さ結構さをより心に納めるため、親神様から日々使う道具としてお借りしている「九つの道具=目・耳・鼻・口・右手・左手・右足・左足・男女の一の道具」について学び、次に筆者の「私案」として、人体の臓器・器官などを十に分類し、親神様の守護の理に当てはめた上で解説しました。さらに、最先端分野である「細胞と遺伝子」「老化と死」「臓器移植とクローン」の項目を追加してあります。
なお「かしもの・かりものの理」を学ぶには欠かせない「元の理」と「八つのほこり」については、「参考」として巻末に掲載しました。この内「八つのほこり」の説き分けについては、教会本部から公刊されている書物がありませんので、「別席」のお話などを参考に、新たに編ませていただきました。
このような試みは、医学的な専門知識の無い私には無謀なことですが、若い頃に天理教青年会本部・出版部と道友社・編集部でそれぞれお仕込みいただいた経験を生かし、促成の医学ジャーナリストになったつもりで執筆させていただいたものです。したがって、不勉強の点や悟りの届かぬところも多々あるとは思いますが、本冊子を一読いただいて、読者の心に「かしもの・かりものの理」への理解が深まるならば、これに過ぎる喜びはありません。
平成十一年十二月吉日 天理教此花大教会長 田邊 教郎(生前に許可を頂いております)
身の内 九つの道具(2) 耳
耳は何のために付いているのでしょうか。
「人の言葉を聞き分け、音楽を楽しみ、小鳥のさえずりや虫の音、雨風や小川のせせらぎ、波の音など、ありとあらゆる音を聞くためです」というのは、半分だけ正解です。
耳がおこなっているもう一つの大切な役割は、人体の平衡バランスを保つことです。
【音を聞くメカニズム】
耳の中は暗い上に、外耳道がカーブしているので、光を入れても鼓膜までは見えません。しかし、その奥には実に精巧な、音を伝達し、聞き分ける仕組みが隠されているのです。
音や声は空気の振動(音波)として伝わります。外界で発せられた音は、両耳の耳介で捕らえられ、外耳道を通って鼓膜を振動させます。
鼓膜は直径約9o、厚さ0.1oの弾力性に富んだ薄い膜ですが、音の振動を正確に、耳小骨のツチ骨からキヌタ骨へ、そしてアブミ骨へと伝えます。
三つの耳小骨はマッチ棒の頭ほどもない、人体の中で最も小さい骨ですが、それぞれしっかりと筋肉で結ばれていて、鼓膜の振動を増幅します。
耳小骨で増幅された音の振動は、カタツムリの形をした蝸牛の中に満たされたリンパ液に伝わり、ここで水の振動となります。蝸牛の中には音の強弱・高低に反応する感覚細胞がずらりと並び、リンパ液の振動を電気信号に変換し、蝸牛神経を通して大脳へ送るのです。
【4000段階の音程を聞き分ける】
人間が聞き分けることのできる音程は約4000段階。情報量の最小単位のビットにすると1万2千5百ビットもの容量があります。「あいうえお」の50音を聞き分けるための情報量は、わずか60ビットなので、あらゆる音が聞き分けられるはずです。
音の高さの単位であるヘルツでは、20ヘルツから2万ヘルツまでが守備範囲。人の話し声は200から4000ヘルツですから、やはりすごいですね。
【気圧の変化から鼓膜を守る】
海に潜ったり、飛行機が急上昇すると、鼓膜の外側と内側の気圧が変化します。ごく薄い鼓膜は、外の気圧が高いと内側へ、低いと外側へ引っ張られ、耳がツーンとなります。でもご安心を。鼓膜の内側の空気は耳管で鼻やのどにつながっていて、つばを飲み込んだりして出口を開くと元に戻ります。
【体のバランスをとる巧みなシステム】
二足歩行をする人間は、バランスがとれなくては歩くどころか、立ってもいられません。
人体のバランスを保つ三半規管には、前後・上下・左右に三本の半円の管が広がっています。その中のリンパ液の流れにより、回転運動を感じているのです。
また、根元にある球形のうは体の左右の傾きを、卵形のうは体の上下の傾きを感じて、それぞれ電気信号を前庭神経を通して大脳へ送ります。人間が自転車に乗れ、宙返りさえできるのは、この器官のお陰です。
【聞いて喜び楽しむ元は心】
私たちの耳の完璧な仕組みと働きは、まさに親神様からの賜物です。でも、もし自分の心がひねくれていたら、何を聞いても腹が立ちます。いつも豊かな暖かい心でいることが、この「借り物」を上手に使いこなす秘訣ではないでしょうか。
身の内 九つの道具(3) 鼻
鼻は、息をするための「呼吸器」と、ニオイを感じとるための「嗅覚器」という、二つの大きな役割を果たしています。
鼻の入り口は、指が一本はいる程度のサイズでも、内部は鼻腔という大きな空洞になっています。
鼻腔は左右両側に分かれ、さらに奥では鼻甲介という横ヒダで上中下の三層に分かれます。鼻腔の天井部分には、嗅球というニオイを感じる器官がセットされています。
【空気清浄器付きエアコン】
鼻はまず「呼吸器」として、すぐれた働きをしています。吸い込んだ空気に混じっているゴミやホコリは、まず鼻毛がフィルタとなって取り除き、次に上中下の鼻甲介のヒダの粘膜で 60〜70%をカット。きれいな空気を気管支へ送ります。
気管支を通って肺へ送られる空気は、乾燥していたり冷たかったりするといけません。鼻は、空気が毛細血管の張り巡らされた鼻甲介のヒダの粘膜を通過するあいだに加湿・加温して、最適の湿度と温度にしてくれます。
【声の共鳴器としての役割】
声は声帯で作られますが、鼻が詰まっていては正しい発声ができません。「ム・ン・ガギグゲゴ」などは、鼻で共鳴する鼻音です。
【3000〜1万種類のニオイを識別】
人間がまだ原始的な暮らしをしていた時代、嗅覚の良し悪しは命に関わる問題であったでしょう。危険な動物のニオイには身を隠し、食べ物のニオイを判別しながら生きのびていたのだと思います。
鼻の中でニオイを感じる部分は、鼻腔の天井にある切手一枚ほどの嗅球という嗅覚器。ここにニオイの受容細胞が 500万個もあって、3000から1万種類のニオイを識別することができるそうです。
たとえば、麝香(香料の一種)は空気1g中に 100億分の一cあるだけで、その香りを感じます。
しかし、嗅覚に関して人間は、犬には遠く及びません。犬の鼻粘膜の面積は人間の40〜50倍、ニオイの受容細胞は1〜2億個で、約30億種類ものニオイを嗅ぎ分けるのですから、これはマイッタ。
【ニオイを嗅ぎ分けるしくみ】
味覚に「甘い・塩からい・苦い・酸っぱい」などの基本味があるように、ニオイにも「樟脳・麝香・薄荷・エーテル・刺激臭・腐敗臭」などの原臭があるといわれます。
嗅球には受容器という特殊な神経細胞があり、感覚毛がニオイの分子の種類を選り分けて感覚神経細胞に伝え、その情報が大脳の嗅覚野へ達するとニオイを感じます。
【嗅覚の神経は疲れ易い】
嗅覚は大変デリケートなだけに疲れ易い感覚です。嫌なニオイも長時間嗅いでいると、分からなくなってしまうことがあります。しかし、ガスのニオイに慣れてしまい、ガス中毒になることだけは避けてください。
【かぐわしい心の匂いを発散しよう】
天理教で布教のことを「にをいがけ」というのは意味深長です。宗教論争で相手を論破するのではなく、信仰に根差した暮らしの中からにじみ出るかぐわしい匂いをかけながら、誠心誠意人を導く。
よい香りには人も蝶も集まるのが天理です。
身の内 九つの道具(4) 口
口の大切な役割は、食事をし、言葉を話すこと。呼吸をすることもできます。そして、口の器官の中で、最も親しみのあるのは、「唇」と「歯」と「舌」でしょう。
【唇の陰の役割】
一番目立つところにある唇の役割は、意外と知られていないのではないでしょうか。
まず、唇なしでは、美味しい食事はとれません。抜歯の麻酔で唇がマヒし、ご飯がぼろぼろこぼれた経験のある人もいるでしょう。熱いお味噌汁をフーフー吹いて冷ますのも唇です。
また、唇なしで話をすることは絶対にできない相談です。
【水晶にも負けない歯の硬さ】
乳幼児に生えた20本の乳歯は、7歳〜12歳ごろ永久歯に生え変わります。
永久歯は、上下の歯ぐきにそれぞれ@食べ物を噛み切る「門歯」が4本、A引き裂く「犬歯」が2本、B噛み潰す「小臼歯」が4本、Cすり潰す「大臼歯」が6本の計16本ずつ、総計32本が備わっています。
歯の表面の表に出た部分は、人体中で一番固く水晶ほどの硬度があるエナメル質でガードされ、その内側は象牙質です。
歯肉(歯ぐき)の内部では、象牙質の周囲をセメント質がカバーし、歯の中心部の歯髄には血管や神経が通っています。
歯は自分の体重ほどの力で物を噛み砕くことができますが、Something Great(偉大なる何者か?)からの「借り物の歯」を大切に使い、お金を出した「自分の歯(義歯=入れ歯)」にならないようにしたいものです。
【舌は味覚センサー+かくはん器】
舌は何種類もの筋肉組織でつくられているので、前後・左右・上下に自由に動かすことができます。口の中で食べ物と唾液を混ぜ合わせたり、言葉を操ったりできるのはそのためです。
舌の表面には乳頭という突起がいくつもあり、その溝の中の味蕾が味を感じます。舌にある味蕾の数は約 5000個で、舌の位置によって、苦味・酸味・塩味・甘味と、感じる味の種類が異なります。
水や唾液に溶けた食べ物の味は、味蕾から味覚神経を通って大脳の味覚野へ伝わりますが、私たちが感じる味わいは、見た目や、香り、歯ざわり、舌ざわり、温度によって大きく左右されます。
【食べ物と呼吸の通路の自動切り替え】
私たちの喉には「上の図」のように、食べ物が通る「食道」と、息が通る「気道」が通じます。
@食べ物を飲み込むときは、軟口蓋の口蓋垂(のどチンコ)の部分が背面へ動き、喉頭蓋が気道をふさぎます。A呼吸をするときは、軟口蓋と喉頭蓋が反射的に気道を確保します。この巧みな構造により、食べ物が肺へ入る大事件を防いでいるのです。
【「声」は「肥え」になる】
人間と他の動物の大きな違いは、自分の思いを言葉で伝えられること。切り口上、切り言葉は人の心を潰します。真心から出る美しい言葉、相手を思いやる優しい言葉は、周囲の人々の心を育て、自らの人生を実りあるものに導く「肥え」となります。
身の内 九つの道具(5.6) 右手・左手
考えてみると、私たちの手ほど便利なものはありません。「掴む」「握る」「挟む」「捻る」「引く」「押す」「押さえる」「投げる」「掻く」「摘む」「撫でる」などなど、思い通りに各種の作業をすばやくこなしてくれます。しかも、右手と左手が完璧な連携プレーをするので、力仕事から細かい作業まで、まず出来ないことはないと言ってもよいほどです。
【手を動かすしくみ】
たとえば、ある物を持ち上げようとします。目で確認した場所へ自然と手が伸びて、つかむと同時に力が入って筋肉が収縮し、持ち上げます。
筋肉は対になっていて、片方がゆるむと、もう片方が縮むようになっています。
【片手には27個もの骨がある】
手は非常に複雑な動きができるように、片手だけで27個もの骨があって、それぞれが関節でしっかりとつながっています。
手根骨と中手骨は、手のひらの中に隠れていますが、これだけ細かい骨が複雑につながっているので、自由に手を動かせるのです。
【親指が特別よく動く】
5本の指の中で、親指だけが特別よく動くように出来ています。他の指よりも中手骨の付け根が特別よく動き、筋肉がたくさんあるからです。それで、他のどの指にも向かい合う位置まで動いてゆき、ものをつかむときの中心的な役割を果たします。
【指を動かす無数の筋肉】
指の動きは実に複雑かつ巧妙です。単純な曲げ伸ばしから、根元だけで曲げたり、上下左右に動かしたり、ぐるぐると円を描くこともできます。
ピアニストの魔法のような指の動き、画家の巧みな筆づかい、伝統工芸品を作り上げる職人たちの究極の技。それらを陰で支えているのは、無数の筋肉と靭帯なのです。
【デリケートで正確な指センサー】
皮膚は、外部からのさまざまな刺激を感じ取る感覚器でもあります。中でも、人間の手の指先の皮膚は、最もすぐれた感覚機能をもっています。
皮膚の表皮の下にある真皮には、「痛覚・圧覚・温覚・冷覚・触覚」の5種類の感覚受容器が備わっているのですが、手の指先の場合は、他の部分よりも数多くの受容器が存在しています。目の不自由な人のための点字も指先だから読めるのです。
また、指先の腹側には弓状か渦状か蹄状の指紋があって、すべり止めの役目を果たしてくれています。
【ドアのノブはなぜ廻せるか】
手のひらをひっくり返せるのは、手首の関節が廻るのではなく、前腕の尺骨と橈骨がねじれるからです。手首を握って試してください。
【手ははたらくためにある】
人が働くとき、たいていは手を動かします。クワを握るのも、ハンドルを廻すのも、事務を執るのも手が主役。親神様は「傍々を楽させる」よう、はたらくために両方の手をお貸しくだされたのです。
身の内 九つの道具(7.8) 右足・左足
私たちが立ちあがったときに全体重を支え、思い通りの方向へ歩き、走り、飛び、廻り、立ち止まるほか、ボールを蹴ったり、水を掻き回したりするなど、力強く働いてくれるのが左右の両足です。
【足の構造】
骨盤から膝までの間にある、骨の中で最も大きな大腿骨は、膝関節によって脛骨(向う脛の骨)とつながっています。膝から足までの間は、脛骨と腓骨の二本の骨で支えます。くるぶしから下は、26本もの骨が関節で弓形につながって、体重をしっかりと支え、運動するときはスプリングの役をしています。
【無意識でも歩ける?】
私たちは、足さえ丈夫なら歩くことは苦になりません。しかし、ロボットには大変難しいことだそうです。
方向を確認し、地面の高さに合わせて体のバランスをとり、歩幅とスピードを調節して、交互に足を出す。人間はこれらの作業を、ほとんど無意識におこなっています。
なお、歩き始めに太ももを上げるときは、内側の大腿二頭筋が縮み、外側の大腿四頭筋がゆるみます。
【氷の表面よりなめらかなジョイント】
万歩計の表示が1万歩になったら、両膝の関節はそれぞれ5000回ずつ屈伸したことになります。
一日の平均が2000歩の人でも、膝は一年間に36万5千回。80歳の人は約3000万回も屈伸をしてきたことになります。よく磨り減らないものですね。
大腿骨と脛骨とが接する膝関節では、大腿骨の先端が凹型の関節窩、脛骨の先端が凸型の関節頭となります。これらの骨の先端は関節軟骨となり、骨が磨り減るのを防ぎます。さらに両方の関節軟骨の間にある関節腔には滑液という潤滑液が入っていますが、驚くべきことに、その摩擦係数は0.01 で、氷の表面よりも滑らかなのです。
関節腔は滑液を分泌する滑膜が、その外側を骨膜の延長である関節包が取り囲み、さらにその外側を、強靭な結合繊維で出来た靭帯でしっかりと何重にもテーピングしてくれています。
【人体最大の腱】
関節を動かす筋肉は、その両端が丈夫な繊維質の腱となって、別々の骨と結合しています。
くるぶしの後ろのアキレス腱は、ギリシャ神話の英雄・アキレスの急所でしたが、これは人体最大の腱で、断裂するとつま先立ち歩行ができなくなってしまいます。
【歩けば新しい世界が開ける】
昔の人たちは、どこへ行くのも、ほとんどが徒歩でした。交通手段が便利になり、現代人はあまり長い距離を歩きません。でも、自分の足で歩けば、美しい景色や、多くの人々とも出会えます。この素晴らしい「借り物」で、もっともっと歩きましょう。
身の内 九つの道具(9) 男女一の道具1
♂ 男一の道具
男一の道具とは、男性性器のことです。
元初まりに親神様が人間を創造されてから今日までの長い年月、人間がこの世に生まれかわり出かわりして、次の時代に子孫を残してこれたのは、男女の一の道具の不思議な働きのお陰です。
【男性性器の役目】
男性性器は子孫を残すため、遺伝子を持つ精子を造り、精子が女性性器で造られる卵子に受精できるよう放出します。
もちろん、陰茎は放尿するための道具でもあります。
【精子のはるかなる旅路】
精子は睾丸の中にある精巣で、一日に約3000万個も造られます。小さすぎて目には見えませんが、その頭部には父親の遺伝情報がぎっしり書き込まれた遺伝子(その実体はDNA=デオキシリボ核酸)が詰まっています。そしてミトコンドリア鞘にたくわえられたエネルギーで運動のできる不思議な細胞です。
睾丸で造られた精子は副睾丸に入り、10〜20日かけて成熟。成熟した精子は、長い尾を振りながら精管へ入り、いっせいに泳ぎだします。
精管は股の付け根(鼠径部)の穴を貫いて腹の中へ入り、膀胱の上から後ろへ廻りこんで前立腺の手前で膨らみ、精管膨大部を造ります。体長0.05〜0.07o(50〜70ミクロン=ミクロンは千分の一o)の精子には、この精管膨大部へたどりつくだけでも大変ですが、卵子にめぐり合うための旅は、ここから始まるのです。
【射精のメカニズム】
男性に性的興奮が起きて陰茎海綿体と尿道海綿体が血液で満たされると、静脈が圧迫されるので、海綿体内は血液がはちきれんばかりに充満して、陰茎が硬く大きく膨張し、勃起します。
一方、精管膨大部で射精のときを待っていた精子には、精嚢から分泌される精漿というゼラチン質の粘液が混ざって精液となり、膀胱の真下で栗を逆さにした形の前立腺へと送られます。カウバー腺は亀頭をなめらかにする液体を分泌します。
興奮がクライマックスに達すると、尿道括約筋、海綿体筋、坐骨海綿体筋、会陰横筋などの筋肉群が激しく規則的に収縮し、前立腺から分泌された大量の乳白色の液の混じった精液が、尿道口から勢いよく飛び出します。
一回の射精量は約3tで、2〜3億個もの精子を放出しますが、この複雑で巧妙な射精のシステムは男性に快感という余禄まで与えてくれます。
【陰嚢は天然のラジエータ】
睾丸の精巣には伸ばすと約70pになる精細管が約1000本もあり、精子や男性ホルモンを製造します。
ところが、精子を造るには、体温よりもかなり低い温度が必要なので、陰嚢の無数のシワが表面積を大きくし、睾丸の熱を外部へ放出しています。
さらに陰嚢は、気温の変化に応じて微妙に伸びたり縮んだりして表面積を調節し、精子を造るために最適の温度を保っているのです。
【子孫繁栄と夫婦円満のために】
自分の心通りに使える男一の道具とは、男性生殖器の中でも陰茎のことでしょう。もちろん性行為にいたるには勃起のご守護が必要ですが、子孫繁栄と夫婦円満につながる使い方を心がけ、劣情に因る色情いんねんを積まないことが大切です。
身の内 九つの道具(9) 男女一の道具1
♀ 女一の道具
女一の道具とは、女性性器のことです。
男性性器の陰茎と陰嚢は外部に露出していますが、女性性器は体内にしまい込まれています。それだけでも神秘的ですが、その働きはまさに不思議としか言いようがありません。
【女性性器の役目】
卵巣では人間の卵である卵子が造られます。卵子の大きさは0.12〜0.13oですが、不思議なことに、象の卵子もネズミの卵子もほぼ同じ大きさなのです。 卵巣から成熟した卵子が排卵されると卵管采がキャッチ。卵子は卵管の入口に近い膨大部で精子が来るのを待ちます。
精子と卵子が受精すると、受精卵は卵管を通って子宮に入り、子宮粘膜に着床します。これが妊娠の始まりですが、妊娠については後に述べます。
【700万個から選りすぐられた400個のタマゴ】
驚くべきことに、女性の体では、まだ母親の胎内にいる胎児のときから、いずれ卵子となる卵原細胞ができているのです。受精後20週目の女の胎児には 700万個もの卵原細胞がありますが、誕生時には 40 万個に減り、卵巣から成熟した卵子として排卵されるのは、一生にわずか 400個程度です。
つまり1万7千5百個から1個の、厳選された超エリートのタマゴが卵子だと言えます。
【受精へのプロセス】
父親の体内から射精によって膣内へ放出された3億個の精子は、ひたすら卵子を求めて、いっせいに泳ぎ出し、長い過酷なレースが始まります。
精子のスピードは速いもので毎分4o程度。卵子は排卵の後、数時間しか受精する能力がないし、精子は、射精されると、人間の体温の中では24〜48時間しか生きられないという制限時間があります。 まず、子宮頚部の粘膜が第一関門で、正常に運動することのできる精子だけが通過します。
子宮へ入ると、今度は白血球に食べられてしまう精子が続出。しかも、卵子は左右どちらかの卵管膨大部にしかいないので、食べられなかった精子も多くは迷子になって脱落。ようやく目的の卵管に入れた6万個の精子は、卵管の繊毛の動きに逆らって懸命に泳ぎますが、卵子の近くにたどりつける精子は、100個未満でしかないのです。
最後の関門は卵子を取り巻く栄養細胞です。残った精子たちが協力して栄養細胞のすき間をこじ開け、ようやく透明帯にくっついた一個の精子は、頭の先から酵素を出して透明帯を溶かし、卵子の中へゴールイン。その瞬間に透明帯は丈夫な細胞膜に変身するので、遅れた精子たちは卵子の中へ入れなくなってしまいます。
受精した精子も、3億個によるサバイバルレースに優勝した、超エリートなのですね。
【受精卵の着床】
受精した卵子は受精卵となり、分裂を繰り返しながら、およそ一週間かけて卵管を通り、子宮で用意されていた子宮粘膜のベッドに着床します。
着床した受精卵(胚盤胞)は子宮の細胞の中にすべりこみ、やがて胎児となる細胞群と、胎盤となる細胞群に分かれ、それぞれ成長してゆきます。
受精卵の着床後、母親は約280日先の出産の日を待つことになるのですが、その胎内では、不思議に満ちた人間創造の偉業がなされているのです。
身の内 九つの道具(9) 男女一の道具3
【胎児の細胞は分裂し分化する】
受精から分娩までの妊娠期間は約280日。直径0.12oの一個の受精卵は、細胞分裂を繰り返し、母親の胎内から誕生する時には身長約50p、体重約3000cの赤ちゃんとなって産声を上げます。
しかし、球形の細胞がいくら増えても、巨大なボールにしかなりません。胎児の細胞は分裂するにつれて、形や役割の異なった細胞へと「分化」するので、徐々に人間の姿へと形作られてゆきます。
今日の分子生物学では、細胞の核の中にある遺伝子・DNA(デオキシリボ核酸)に書かれている遺伝情報の暗号が設計図となり、それに基づいて人間の体が組み立てられていることまでは明かになりつつあります。しかしながら、どのようにしてその設計図が書かれたのか、なぜ同じ遺伝子を持った細胞が分化して形を変え、役割を分担することができるのか、といった詳しいことについては、ほとんど分かっていないのが現状です。
昔も今も、人間の誕生は最大の神秘なのです。
【個体発生は系統発生を繰り返す?】
妊娠に気づくのは、妊娠二ヶ月の32日目ごろからです。このころ、胎児(胚子)には、脳、神経、目、心臓、手、足などの器官がそろいますが、その顔は魚類(32日目)→両生類(34日目)→爬虫類(36日目)→哺乳類(38日目)→人間(45日目)と劇的な変身を遂げます。まるで親神様がどぢよを人間のたねとされ、人間が「虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て」成人を遂げてきたと教えられる「元の理」の世界を見るようです。
今日の学説では、母体内での胎児の成長過程が、人類の進化の過程を再現しているとしか思えないことから「個体発生は系統発生を繰り返す」と難しい表現をします。天理教流に言えば「人間の誕生は、親神様が元初まりの人間創造の不思議な働きを今に返してご守護くだされる」ということです。
【胎児の生命をささえる胎盤】
当然ながら、胎児は食事も呼吸も大小便もしません。にもかかわらず、なぜ生きて成長することができるのでしょうか。その秘密は胎盤にあります。
子宮粘膜に着床した受精卵(胚盤胞)の一部は粘膜に入りこみ、その先端が無数に枝分かれして絨毛となります。一方、母親の血液は子宮動脈から絨毛間腔に噴き出して絨毛の間に広がり、絨毛は血液の中に漬かります。これが胎盤の構造です。
ここで、母親の血液から酸素や栄養分が胎児の血液に渡され、胎児の炭酸ガスや老廃物が母親の血液に捨てられます。また胎盤には、母親が持っている有害な物質はカットする機能もありますが、タバコのニコチンだけは通してしまいます。
【子供は親神様からの最高のプレゼント】
「子供を作る」ことは、命あるものにだけ与えられた、月日親神様からの最高のプレゼントです。
胎内で胎児を280日かけてはぐくみ、出産の後は母乳を与え、深い愛情をもって子供を育てるのが母親。子育てを支えてくださるのは親神様です。
たいないゑやどしこむのも月日なり むまれだすのも月日せわどり 六号131
【私たちは親神様の懐住まいをしている】
親神様のご守護は実に偉大かつ壮大であります。ここでは「かしもの・かりものの理」の理解を深めるため、人間身の内のご守護に的を絞りますが、これは、ご守護のごく一部なのです。
天上にきらめく星々は規則正しく運行し、銀河系宇宙の太陽系では、太陽の周囲を、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の順に、九つの惑星が公転しています。その太陽系の惑星の中で、なぜ私たちの住む地球という星にだけ生命が存在するのでしょうか。それは、親神様の「火・水・風」のご守護に守られ「懐住まい」を許されている唯一の星だからです。
【太陽の光と熱=火のご守護】
地球より太陽に一つだけ近くを廻る金星は表面温度が約500度Cの水も酸素もない炎熱地獄。一つだけ遠くを廻る火星はマイナス60度Cの不毛の砂漠で八寒地獄。その間を公転する地球だけが平均気温 15度Cの唯一人間の住める極楽星なのです。
また、宇宙の温度は絶対零度より3度ほど高いマイナス270度Cですが、地球を取り巻く大気の層が、太陽から受けた熱を、大気中の二酸化炭素(炭酸ガス)などによる温室効果で保温してくれているので、太陽光線が当たらない夜でも凍えずにいられます。
【水気上げ下げ=水のご守護】
水惑星とも呼ばれる地球は、地表の三分の二が海水で覆われ、その平均深度は3800b。陸上では河が流れ、湖沼が水を湛えます。北極と南極には大量の氷が蓄えられ、大気中には水蒸気が満ち、雲となります。私たちの生存に欠かせない飲料水は、親神様の水気上げ下げの守護により、蒸留水に近い雨の恵みとして、自然に天から与えられています。ちなみに、大気中の水蒸気は十日間で、すべて入れ替わっているそうです。
なお、「元の理」で、人間は九億九万年の間は「水中の住まい」と教えられますが、人体の約60%を占める体液が、ナトリウムと塩素を主成分とする海水の組成と、きわめて類似しているのも不思議です。
【空気の微妙なバランス=風のご守護】
私たちが呼吸することで酸素を体内に取りこんでいる空気の主な組成は、窒素・約78%、酸素・約20%、アルゴン・約1%、炭酸ガス・約0.03%です。
温室効果の主役である炭酸ガスの濃度は、南極氷床の中に閉じ込められた気泡を測定したところ、産業革命の始まった一七五〇年ごろには0.028%。それが近年では0.024%近くまで増加していて、これまでと同じように森林を切り倒し、化石燃料を燃やし続けると、21世紀末には産業革命以前の二倍の水準となり、地球全体の平均気温は約3度上昇、北極や南極などの高緯度地方ではその三倍もの気温上昇が予測されています。やはり人類は、つつしみの暮らし方を学ばねばならないようです。
また、地球の大気圏の高さは約500qで、対流圏の風は高度10q以下を吹いていますが、風は海から水蒸気を運んで雨を降らせ、太陽の熱をくまなく地上にまくばり、気候を調節してくれています。
私たちが住まいする地球はまさに奇跡の星です。 人類は、温かく潤いに満ちた親神様のご守護に抱かれ、「陽気ぐらし」をするために、親神様の「懐住まい」をさせていだだいているのです。
たんだんとなに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ 三号 40−135
親神様の身の内 十全のご守護
(1)脳・神経
体の働きを支配=脳・神経系
【人体の中央管制塔・脳】
私たちの脳は、高度に発達した1000億個以上の神経細胞から出来ていて、人体のあらゆる活動を支配・統合している中央管制塔です。
脳は「知・情・意」といった精神活動をつかさどる「大脳」、体の平衡と筋肉の緊張を正しく保つ「小脳」、呼吸や心臓の活動、体温調節など生命活動を支配する「脳幹(含・間脳)」などから構成されています。
大脳は、左右の大脳半球に分かれ、脳梁で連絡されます。また、大脳の表面を覆う大脳皮質では、言葉を話し、ものごとを考えたりする高度な精神活動がなされ、その奥の大脳辺縁系は、喜怒哀楽の感情や、食欲・性欲などの本能の座といわれます。
【脳は水に浮かんでいる】
この大切な脳は、上から順に硬膜、クモ膜、軟膜の三枚の膜に包まれた上で、頑丈な頭蓋骨に納められ、保護されています。さらに、硬膜とクモ膜の間にはリンパ液が、クモ膜と軟膜の間には脳脊髄液という液体が入っていて、衝撃から脳を守るクッションの役目をしています。
脳の重さは1400cほどですが、頭蓋骨の中ではこの液体の浮力により50c程度になるので、多少のショックでは脳震盪にならないのです。
【「脳」で「脳」を考えるということは??】
脳は感覚器からの情報を認識し、骨格筋などへ命令を出すほか、物事を記憶したり考えたりすることができます。
脳の構造や反応を、解剖したりレントゲンや音波や磁気で調べる技術は目覚ましい進歩を遂げましたが、「人間の脳が何をどのように考えるのか、ということを、人間の脳で考えること」が果たして可能なのか、という問題には答が出ていません。
この問題をあまり真剣に考えると、ノイローゼになってしまうそうです。
【最長の神経細胞は長さ1メートル】
脳からの指令や、感覚器からの情報を体中に伝える神経細胞の細胞体からは、多くの枝(突起)が伸びています。この細胞体とすべての突起を含む一個の神経細胞全体はニューロンと呼ばれます。
この突起には二種類あり、樹状突起は他の神経細胞からの情報を受け取る役目、軸索突起(神経線維)は情報を遠くの神経細胞へ伝える役目をします。ニューロンの接合部は、シナプスと呼ばれ、ここで神経伝達物質により、情報が伝えられます。
普通の神経細胞の軸索は数o〜1pですが、脊髄から足の末端に至る運動神経細胞は、軸索が1bにもなる人体最長の細胞です。なお、神経信号が伝わる最高スピードは秒速60〜100bの超高速です。
【知らない間に人体を管理する・自律神経】
人体の神経には、脳や脊髄から成る中枢神経系と、体中に分布する末梢神経系とがあります。
また、働きの上からは、@体を動かす運動神経、A感覚を脳に伝える知覚神経、B生命を維持するために働く自律神経の三つに区別されます。
自律神経とは、脳から命令されなくても、独自に体の働きを調節する神経で、交感神経と副交感神経とがあります。私たちが眠っている時にも心臓が脈打ち、食べた物が知らない間に胃や腸で消化・吸収されるほか、複雑で微妙な体の働きが自然に保たれるのは、この自律神経のお陰なのです。
親神様の身の内 十全のご守護
(2) 体内をくまなく巡る=循環器系
体内をくまなく巡る=循環器系
【不眠不休の血液ポンプ・心臓】
私たちは250〜350c、握りこぶしより少し大きめの心臓が止まると確実に死んでしまいます。
人間の血液は体重の約13分の一で、体重65sの人なら約5s。心臓が送り出す血液は毎分約5gですが、激しい運動をした時の血液は、わずか20秒ほどで体内を一周してしまいます。
心臓の筋肉(心筋)にエネルギーとなる酸素や栄養素を補給しているのが、心臓の表面を覆う左右二本の冠状動脈です。
心臓の重さは体重の0.5%なのに、冠状動脈には全体の4%もの血液が流れ、心臓は全身の11%もの酸素を消費しています。この冠状動脈の酸素が不足すると狭心症、血液が流れず心筋が壊死すると、恐ろしい心筋梗塞になってしまいます。
【巧みな体温調節のしくみ】
体温は血液によって全身に運ばれた栄養素や酸素がエネルギーとなる(代謝する)ときに発生しますが、約36.5度の人間の体温は5度上昇しても下がっても、命に関わるのです。
そこで外の温度が低い時は、毛の根元の立毛筋が縮んで鳥肌が立ち、皮膚の表面積を小さくすると共に、血管も縮んで体温が逃げ出すのを防ぎ、筋肉は体温を作るためにブルブル震えます。
外の温度が高かったり、運動をして体温が上昇すると、汗を出して気化熱で体を冷やし、毛穴は開き、呼吸が盛んになって体温を低くします。
この巧みな温度調節は、脳の視床下部の体温調節中枢がおこなっているそうです。
【しなやかな動脈壁の秘密】
大動脈などの太い動脈では、心臓から押し出された非常な高圧の血液が絶えず流れます。
そのため、動脈壁の中には、ゴムのように伸び縮みする弾性板という繊維組織がたくさんあり、その間に平滑筋細胞が詰まり、しなやかで分厚い構造になっています。
【血管の長さは地球二周半の10万キロ】
心臓から押し出された血液は、大動脈→動脈→小動脈→毛細血管へと流れ、全身に酸素や栄養素を届けます。それと交換に、全身から炭酸ガスや老廃物を受け取った血液は、小静脈→静脈→大静脈の順番で集められ、心臓に戻ります。
人体のすべての血管をつなぎ合わせると、なんと10万qにもなるそうですが、これは一周約4万qの地球を二周半する距離です。
全長が約 8000qの日本の高速道路では、毎日どこかで事故や工事のため渋滞したり、通行止めになったりしています。もし血管が脳で詰まると脳梗塞、破れると脳出血、心臓の冠状動脈で詰まると心筋梗塞です。一度の手入れもなしに、10万qの血管が何十年間も無事故なのは有り難いことです。
【血液はなぜ心臓へ戻れるか?】
心臓は押し出す力は持っていても、吸い上げる力はありません。心臓より上の頭や肩の血液は、引力で自然に心臓へ戻りますが、心臓より下の血液は手や足の筋肉がポンプの役目をするそうです。 手足の静脈には多くの弁があり、血液の逆流を防いでいますが、椅子に座って眠っている時にも血液は循環しているのですから、不思議ですね。
親神様の身の内 十全のご守護
(3)全身をおおって守る=皮膚
【外界から体を守る防護服・皮膚】
【皮膚は一ヶ月で使い捨て】
皮膚は、場所によって厚さが異なります。まぶたの皮膚が oで最も薄く、額が1o弱、手のひらが1o、足の裏は2o、面の皮は?oだそうです。
皮膚には、表皮、真皮、皮下組織があり、爪や体毛もその一部です。表皮には毛穴(毛孔)と汗の出る穴(汗孔)があり、毛が生えていますが、表皮の細胞はどの器官よりも成長が速く、常に生まれ替わります。
表皮では、一番下の基底層で表皮の細胞が造られ、有棘層→顆粒層→角質層と徐々に成熟しながら上へ移動し、最後にはアカやフケとなってはがれ落ちます。皮膚の細胞が生まれてからアカやフケになるまでは約一ヶ月。だから何年使っても擦り減って穴が空かないわけです。
【皮膚には再生能力がある】
トカゲの尻尾は切れても元へ戻りますが、人間の皮膚にも強力な再生機能が備わっているのです。
ケガをして、傷が表皮の下の真皮まで達したら出血します。血管が張り巡らされている真皮から血が出ると、血液中の血小板が集まって止血し、かさぶたを作ります。すると、表皮の基底層の細胞群が分裂を開始、次々に新しい細胞を上へ押し上げます。表面に押し上げられた細胞がかさぶたといっしょにはがれて修復完了。痒くても、自然にはがれるまでは、かさぶたを取ってはいけません。
【白髪の中には空気が入っている?】
髪の毛は、真皮の中の毛根から生えています。
髪の毛の表面にはキューティクルといううろこがあって、髪の毛が汚れたり、毛髄から供給される栄養が逃げ出したりするのを防ぎます。
髪の色は、メラニンの量が多ければ黒、少ないと茶・金・白の順に色が薄くなります。年を取るとメラニンを作る力が弱まり、髪は白くなります。白髪がキラキラ光るのは、メラニンの場所へ空気が入り、光を反射するからです。
年を取ると髪の毛は脱毛します。若いうちからハゲるのは、ストレスや遺伝、ホルモンが原因とされますが、はっきりしたことは分かっていません。
【爪の色と形は健康のバロメータ】
爪は根元の爪母という細胞群で一日に約0.15oずつ造られますが、爪の色は皮膚を流れる血液の色で、その色と形は健康のバロメータ。
爪に白い斑点が無数に出来ると腎臓病、凹んでスプーン状になると貧血、三味線のバチ状になると心臓病や肝硬変の疑いあり。タテに盛り上がった皺は老化現象です。
親神様の身の内 十全のご守護
(4)体を支え動かす=骨格系
【206本の骨が人体を支える】
人体には、頭蓋骨=23本、耳小骨=6本、脊椎骨=26本、胸骨=1本、肋骨24本(12対)、上肢骨=64本(32対)、下肢骨=62本(31対)など、206本もの骨が集まり、一手一つ(有機的)にその役割を果たしています。ちなみに、人体で最小の骨は耳小骨のアブミ骨(3.3o)で、最大の骨は太ももにある大腿骨(38〜42p)です。
これらの骨は、私たちの体の形を保ち、体重を支えてくれています。その上に、骨は内臓を守り、筋肉との連携プレーで体を動かし、血液を造り、カルシウムを保存するなど、多くの大切な役割を果たしてくれているのです。
【丈夫で軽くて長持ちする骨の秘密】
骨の表面をおおった骨膜は、骨を保護するだけでなく、知覚神経や血管が通っていて、刺激を脳へ伝えたり、骨に栄養を与えたり、骨の修復をコントロールしたりする、大変すぐれた膜なのです。
骨膜の内側には、カルシウムやリンなどからなる非常に硬くてしなやかな組織=骨質があり、骨質がぎっしり詰まっている部分が緻密質です。
緻密質の中にはスポンジ状の組織=海綿質があり、骨の中央部は空洞=骨髄腔になっているので軽くて強いのです。骨の中にも血管や神経が走ります。
海綿質の隙間や骨髄腔にある骨髄では、血液成分である赤血球、白血球(顆粒球・単球・リンパ球)、血小板などが造られています。
さらに骨には、骨を造る骨芽細胞と、骨を壊す破骨細胞があり、古くなった骨を破壊すると同時に新しい骨を造るという仕組みになっていて、約二年の周期ですべての骨が入れ替わるそうです。
だから骨はいつまでも長持ちするのですね。
【骨は折れてもまたつながる】
骨が折れても、添え木を当てて固定しておくと、骨折した部分の骨芽細胞が伸びて修復し、破骨細胞が整形して、元通りにしてくれます。
ただし、若い人の骨膜は厚くて血管も多く、骨を造る能力が活発ですが、お年寄りは骨が脆くて折れ易い上に、骨を造る力が乏しくなっているので、骨折には充分注意してください。
【人体の大黒柱・背骨】
脊髄は脳から下へ伸びる神経線維の束で、長さは約45p。ここから左右に出る31対の神経が、体の隅々まで枝分かれして、脳からの命令を伝えます。
この神経中枢を守り、上体を支える背骨(脊柱)では、硬い脊椎骨とクッションになる椎間板が交互に26個もつながっています。これが、上体を前後左右に動かせ、高い所から飛び降りても、大切な脳が大きなショックを受けない仕組みなのです。
【骨は使わないと細くなる】
大人の男性が歩くと、足の骨には1平方pあたり150sもの圧力がかかります。ハイヒールの踵で踏まれると飛び上がるほど痛いわけです。
強い骨を維持するためには、骨の主成分であるカルシウムを摂ることと、運動して骨に刺激を与えることだそうです。無重力状態で長期間暮らした宇宙飛行士の骨が、カルシウムを失って、細く弱くなってしまうことは、実験済みです。
親神様の身の内 十全のご守護
(五)消化吸収と排泄=消化器・泌尿器系。
【飲食物の九割が消化・吸収される】
私たちが食事でする仕事は、よく噛んで、よく味わって、飲み込むことだけ。有り難いことに、以後の複雑な消化吸収の作業は全自動で行われます。
食べた物は食道が胃まで運びますが、口から食道→胃→小腸→大腸→肛門へと続く消化管は約 b。飲み込んだ1sの食べ物は、およそ24時間後に、10分の一の100cとなって排泄されますから、九割に相当する900cが消化・吸収されるわけです。
【飲み込んだものは食道が胃へ運ぶ】
食道は長さ約25p、幅は左右約2p、前後約1pの細長いチューブで、ふだんは平べったくなっていますが、食べ物が通る時には広がります。
食道の内側の丈夫な粘膜は、たえず細胞分裂を繰り返し、常に新しい粘膜となっています。
粘膜の外側には輪状筋と縦走筋という二種類の筋肉があり、それぞれが自動的に前後・左右・上下に伸び縮みして、飲食物を胃へ運んでくれるのです。
【胃が胃を消化しないわけ】
胃は容量が1.4gほどの袋で、入口の噴門と、消化活動をする胃体と、出口の幽門から出来ています。
胃には内側から斜走筋、輪状筋、縦走筋の三層の筋肉があり、それぞれ斜め、前後左右、上下に伸び縮みするので、複雑な動き方ができます。
食べ物を消化する胃液は一日に2〜3gも分泌されますが、胃液に含まれる胃酸はph(ペーハー)1〜2の火傷するほど強い塩酸が主成分です。
なのに、胃が胃を消化しないのは、胃の粘膜から消化液と共に分泌される粘液が、胃壁の表面をコーティングしてくれているからだそうです。
【小腸の表面積はテニスコート一面分】
胃で消化された食べ物は、十二指腸を通り、小腸では栄養分と、水分の八割が吸収されます。
小腸の直径は約4pですが、内側の粘膜のひだに約5000万本もの絨毛が密生し、小腸の表面積は約200平方b、テニスコート一面分にもなります。
絨毛の根元からは消化液が分泌され、消化・分解された栄養素は、絨毛の先の微絨毛から吸収されます。微絨毛の細胞は小腸全体で約2500億個もありますが、わずか24時間の寿命しかありません。
常に新しい細胞と入れ替わって、粘膜をベストの状態に保たねばならないからです。
【消化吸収の複雑なメカニズム】
牛や豚や魚の肉を食べても、それがそのまま人間の肉やエネルギーになるわけではありません。
例えば、タンパク質の場合、@まず胃壁から分泌されるタンパク質分解酵素ペプシンでおおまかに分解され、Aさらに十二指腸から分泌される膵液の酵素で分解され、B小腸壁の酵素で一個のアミノ酸にまで分解されて、小腸の微絨毛から吸収されます。
なお、炭水化物はブドウ糖に、脂肪は脂肪酸に分解されて、それぞれ小腸から吸収されます。
【生命維持の大化学工場・肝臓】
胃や小腸で吸収された栄養素は、血液やリンパ液に入り、門脈やリンパ管から肝臓へ運ばれます。
肝臓は、1.2sの人体中で最も重く、大きく、高温の臓器で、2500億個もの肝細胞が私たちの生命を維持するために、きわめて大切な働きをしています。
【肝腎なブドウ糖の安定供給】
私たちの60兆個の細胞には、エネルギー源のブドウ糖が常に供給されなくてはなりません。
ご飯などの炭水化物は、小腸で単糖類に分解・吸収され、肝臓へ運ばれます。肝臓では単糖類をブドウ糖に変え、さらにブドウ糖の分子をつなぎ合わせ、グリコーゲンとして蓄えます。血液中にブドウ糖が少なくなり、血糖値が下がると、肝臓はグリコーゲンをブドウ糖に変えて血液へ流し込みます。
これは非常に重要な働きで、血糖値が平常の半分になると、脳細胞のエネルギーが不足して意識を失い、四分の一以下になると命に関わるのです。
飢餓状態となりグリコーゲンがなくなると、普通の細胞は脂肪を燃やします。しかし、脳細胞はブドウ糖しか使えないので、筋肉などのタンパク質がアミノ酸に分解されて肝臓へ運ばれ、肝臓はアミノ酸からブドウ糖を作って脳へ供給します。脳細胞は、自分の体を食べて生き延びるわけですね。
【驚くべき肝臓の再生能力】
脳や心臓の細胞は、いったん壊れると再生しませんが、肝臓の組織には強力な再生能力があります。手術で肝臓の四分の三を切り取っても、すぐに肝細胞が増殖し始め、約四ヶ月で元の大きさに戻ります。そして、不思議なことに、元の大きさになると、ぴたりと増殖を止めてしまうのです。
なお、暴飲暴食、アルコールや砂糖の摂りすぎは、脂肪肝から再生不能の肝硬変を招くので注意[
【血液のクリーニング装置・腎臓】
腎臓には糸球体という毛細血管の球が100万個もあって、一日に延べ5トンも流れ込む血液から、いったん200gもの尿を漉し出します。その尿は、尿細管という細長い管を通る間に99%まで回収されるので、一日に排出される尿は約1.5gとなります。
これは一見、無駄なことのようですが、腎臓はこの作業により、体液の成分や状態を一定に保ってくれているのです。
ちなみに、人間の生命を維持するために、常に体液をph(ペーハー)7.4 の弱アルカリ性に保ってくれているのも腎臓の働きなのです。
【オシッコを出す巧みなメカニズム】
尿管を通った尿が膀胱に250〜300ml溜まると、尿意を催し、600mlまではガマンができるそうです。
膀胱の尿の出口には、意思と無関係の内括約筋と、意思で動かせる外括約筋があって、尿意を催すと内括約筋がゆるみ、便所で自力で外括約筋をゆるめると、排尿できる仕組みになっているのです。
親神様の身の内 十全のご守護
六 酸素を取り込む=呼吸器系
かしこねのみこと=息吹き分け
【すぐれたエアクリーナー・気管支】
私たちは目覚めている時も、眠っている時も、たえず呼吸をしていますが、大人が吐いたり吸ったりする空気の量は一分間に約8g、一日では約12`gになります。これは2g入りのペットボトル 6000本分にも相当する量です。
空気中のチリの6〜7割は、鼻の中で取り除かれますが、気管から気管支へ入ってきた細かいチリや汚染物質は、気管支の粘膜が取り除きます。
気管支の壁では、密生している繊毛という組織と、分泌される粘液が協力して、粘膜にくっついた汚染物質をのどへ送り返し、汚染物質は知らないうちに食道から胃へ送られて処理されています。
ところが、汚染物質が多くなると、分泌される粘液の量が増え、汚染物質を捕らえた粘液が気管支にたまります。これが、咳きやくしゃみにより、痰となって体の外へ排出されるのです。
【呼吸は手動と自動の自動切換え?】
肺も心臓も休みなく働きますが、心臓と異なり肺には自分で伸縮して呼吸する力はありません。
人体の胸では、骨が籠状になった胸郭と筋肉で囲まれた「胸腔」に心臓と肺が入り、腹部には胃・腸・肝臓・脾臓・腎臓などを入れる「腹腔」があって、横隔膜で隔てられます。(上図参照)
息を吸うときは、肺を取り巻く外肋間筋が縮み、肋骨を上へ押し上げて胸郭を広げ、吐くときは内肋間筋が肋骨を引き下げて胸郭を縮めるのが胸式呼吸。肺は胸郭に対応して拡大・縮小します。
一方、横隔膜を上下させておこなうのが腹式呼吸ですが、実際は両方の呼吸法を併用しています。
無意識のうちにも正確に呼吸できるのは、呼吸器が自律神経の支配を受けているからですが、意識的に肋間筋や横隔膜を動かして声を出したり深呼吸したりすることもできます。
この自動切換えは、瞬時になされているのです。
【呼吸の主役・肺胞の数は3億個】
気管支は肺に入ると15〜16回も枝分かれして、その先端にはガス交換の主役・肺胞が、ぶどうの房のように付いています。肺胞はカズノコの粒よりも小さな袋で、両肺で約3億個もあり、内表面積は60〜70平方b、畳数にして30〜40畳分になります。
肺胞の非常に薄い壁の表面には、毛細血管が網の目のように取り巻き、ここで心臓から流れ込んできた肺動脈血は炭酸ガスを捨て、酸素を受けとって、ふたたび心臓へ戻ります。
血液が赤いのは、血液中の血球の大半を占める赤血球が大量のヘモグロビン(血色素)を含むからです。ヘモグロビンには、肺胞のように酸素濃度の高いところでは酸素と結合して炭酸ガスを放す一方、全身の末端組織のように酸素濃度が低いところでは酸素を放し炭酸ガスと結合する、不思議な性質があります。そのお陰で私たちは窒息せずに生きているわけですが、これは不思議な話です。
【人間と小鳥だけが上手に歌える】
喉頭の中央部にある声帯の二筋の靭帯が空気の通路を縮め、息が声帯を震わせると、声になります。
その振動数は一秒間に100〜300回ですが、動物で上手に歌えるのは、人間と小鳥だけなのですね。
親神様の身の内 十全のご守護
七 病原体を斬る=免疫 たいしよく天のみこと=切ること
【二度とはしかに罹らないしくみ】
一度はしかに罹ると、二度とはしかにならない抵抗力が付きますが、これを「免疫」といいます。 免疫は、自分のものと、細菌(バクテリア)やウイルスなどの病原体や毒素、正常な細胞が変化したガン細胞など、本来自分のものでないものとを識別・排除し、自分の身を守るすぐれた能力です。
【免疫の主役は白血球】
免疫の働きは主に白血球によってなされます。
血液の約55%は液体成分の血漿、残りの45%は有形成分の血球です。
有形成分の血球には、@体の細胞へ酸素を運ぶ赤血球と、A体を守る白血球と、B出血を止める血小板が・り、これらの血球は、わずか一立方oの血液の中に、赤血球が400〜500万個、白血球が4千〜8千個、血小板が20〜40万個含まれます。
それぞれの血球は、姿形も働きも異なりますが、元は骨の中心部にある骨髄で、幹細胞という一種類の細胞から生み出されます。(リンパ球だけは、主にリンパ節や脾臓で造られます)
なお、右の図の赤血球と血小板以外の血球は、ひとまとめにして「白血球」と呼ばれています。
【さまざまな白血球の連携プレー】
白血球はアメーバのように動き回れる細胞で、「顆粒」と呼ばれる粒子を持つ顆粒球(好酸球・好中球・好塩基球)と、顆粒を持たない単球と、リンパ球に分かれ、体内をパトロールしています。
もしも細菌が体内に侵入したならば::
・ まず好中球が細菌を食べ始め、次に、単球から成長したマクロファージがアメーバのように触手で細菌を捕らえて食べながら、事件発生の情報をリンパ球のT細胞(ヘルパーT細胞)へ伝えます。
AヘルパーT細胞は種々の指令物質を放出し、他の白血球のメンバーに戦闘開始を命令します。
B命令を受けたB細胞は、増殖しながら、免疫のカギになる「抗体」(免疫グロブリン)を作り、呼び集められた他の白血球たちと協力して、細菌を全滅させるまで戦うのです。
【予防接種のしくみ】
【エイズウイルスはヘルパーT細胞を狙う】
エイズ(後天性免疫不全症候群)のウイルス(HIV)は、細菌などの病原体との戦争の司令官であるヘルパーT細胞を標的にして破壊します。HIVに感染すると、B細胞は抗体が作れず、カリニ肺炎などの弱い病原体にも感染してしまうのです。
【全身をゆるやかに流れる大河・リンパ】
血液の液体成分・血漿の一部は血管からしみ出し、組織液として体の組織の間を満たし、さらにその一部はリンパ管に入ってリンパ液となります。
細くて透明なリンパ管は、血管を取り巻き全身に張り巡らされています。リンパ液の集まるリンパ節は、人体を防御するための砦で、各種の白血球が、体外から侵入した細菌などを攻撃し、処理します。AヘルパーT細胞は種々の指令物質を放出し、他の白血球のメンバーに戦闘開始を命令します。
親神様の身の内 十全のご守護
八。能力を引き出す=内分泌系 をふとのべのみこと=引き出し
【ホルモンとは細胞を呼び覚ますもの?】
人間の体には、体温や血圧や血糖値などを常に一定の状態(恒常性=ホメオスタシス)に保つ巧妙な仕組みが・ります。その働きを支えているのは、神経系と、免疫と、「内分泌系」なのです。
汗や涙や消化液は、汗腺や涙腺や消化腺という「外分泌腺」から体の外や内臓の中へ流れ出ます。
しかし、ホルモンを分泌する内分泌腺には導管が無いので、ホルモンは毛細血管を通って血液に直接入り、体の隅々にまで流れて、特定の組織細胞に働きかけます。なお、ホルモンとは、ギリシャ語で「呼び覚ます」という意味の言葉だそうです。
【糖尿病の薬・インスリンもホルモン】
私たちは血液に含まれるブドウ糖をエネルギー源として活動し、生きています。 膵臓は胃の後ろ側に横に伸びている臓器ですが、膵液という消化液を十二指腸へ外分泌し、さらにインスリンとグルカゴンという二種類のホルモンを内分泌しています。
ブドウ糖がエネルギーとなるためには、膵臓のランゲルハンス島のβ細胞から分泌され、血糖値を下げるインスリンの働きが必要です。一方、α細胞から分泌されるグルカゴンは血糖値を上げるので、健康時は血糖のバランスが保たれています。
【40種類以上ものホルモンが働いている】
のどぼとけの下にある甲状腺からは、体が栄養を摂り老廃物を捨てる新陳代謝や、知能の発達を促進する甲状腺ホルモンが、その裏にある副甲状腺からは、カルシウムの濃度を調節する副甲状腺ホルモンが、それぞれ分泌されます。 左右の腎臓の上にある副腎からは、新陳代謝や塩分の調整や血圧と骨組織の維持に不可欠な種々のステロイドホルモン(コレステロールから合成されるホルモン)を分泌しています。また、女性の卵巣や、男性の精巣からは、それぞれの性を特徴づけるホルモンが分泌されるほか、視床下部や腎臓、睾丸、消化管などからも、各種のホルモンを分泌しています。
出産の時は、脳の下垂体から分泌されるホルモン(オキシトシン)が子宮の平滑筋を収縮させます。
【ホルモンのコントロールタワー・視床下部】
血液中に含まれるホルモンは、現在分かっているだけで種類以上。神経系と内分泌系のコントロールセンター・視床下部では、ナノグラム(億分の一c)単位のわずかなホルモンの量を感知し、下垂体へホルモンの分泌指令を発します。 下垂体では、成長ホルモンなどの大切なホルモンを分泌するとともに、視床下部からの指令を甲状腺や副腎や性腺などの内分泌腺に伝えます。こうした巧みな連携プレーにより、血液中にホルモンが足りている時には、ホルモンがほとんど分泌されないのですが、これは驚くべきことです。
【人間の内分泌系を乱す・環境ホルモン】
「環境ホルモン」とは、人間の大切な内分泌系の働きを乱す化学物質(内分泌攪乱物質)のこと。殺虫剤のDDT、人工のエストロゲン(卵胞ホルモン)DES、PCB(ポリ塩化ビフェニル)、ダイオキシンなどが・りますが、汚染の状況や対策については、今後の詳しい調査研究が必要です。
親神様の身の内 十全のご守護
九.末代に子孫を残す=生殖器系
いざなぎのみこと=男雛型・種 いざなみのみこと=女雛型・苗代
【男と女が半分ずつ生まれる理由】
生まれてくる赤ちゃんが男か女かということは、両親の大きな関心事ですが、人間の性別は、卵子と精子が受精した瞬間に決まっているのです。 人間の細胞には、遺伝子・DNAが並ぶ23対・46本の染色体があり、最後のXとY染色体が「性染色体」です。
人体を形作り維持する「体細胞」とは異なり、子孫を残すための「生殖細胞」は「減数分裂」という特殊な分裂をするので、卵子と精子は体細胞の半数(23本)の染色体を持ちます。
そこで、女性の性染色体は二本ともXなので、卵子は必ずX染色体を持ちます。一方、男性はXとYの染色体があるので、精子の半数はX染色体を、あと半数はY染色体を持つことになります。 卵子に受精することのできた精子がX染色体を持っていれば、胎児は「女(XX)」に、Y染色体を持っていれば「男(XY)」になるのです。
【兄弟が同じ遺伝子を持つ確率は70兆分の一】
減数分裂するとき、一個の卵子や精子へ23ペアの染色体(相同染色体)の内、どちらが入るかによって、それぞれの遺伝子の組合せが決まりますが、そのパターンは2の23乗なので、約840万種類にもなります。さらに、その卵子と精子の遺伝子が合体するのですから、兄弟が、同じ遺伝子を持つ確率は約70兆分の一。顔かたちが皆違うわけです。
【性別決定の主役は遺伝子とホルモン】
性の決定のカギはY染色体上の遺伝子にあることが昭和62年(一九八七)に確認されました。
この遺伝子からの指令を受けると胎児の体内では精巣が出来、精巣から出る男性ホルモン(アンドロゲン)を浴びたウォルフ管が男性性器に分化して、ミュラー管は退化します。もしも、男性ホルモンが出なければミュラー管が女性性器に分化し、ウォルフ管は退化します。どうやら、もともと人間は、女性となるように創られているようなのです。
【環境ホルモンは男性を女性化させる?】
環境ホルモンの影響で精子の数が減少しているという「仮説」を日本のマスコミが大きく取り上げ、話題となっています。(減少していないという調査報告もあります)
この問題について最も有名なのが、米国・フロリダのアポプカ湖に棲む雄ワニのペニスが異常に小さいことです。これらのワニでは、一九八〇年に農薬会社のたれ流した薬品が女性ホルモン(エストロゲン)として働いている一方、男性ホルモン(アンドロゲン)を抑える物質も見つかりました。
一九六二年、レイチェル・カーソン女史が勇気をもって著した「沈黙の春」が契機となり、DDT(殺虫剤・農薬)などの使用は禁止されましたが、やはり親神様の体・大自然は大切にせねばなりません。
親神様の身の内 老化と死(出直し)
【細胞の「死のプログラム」による老化】
オタマジャクシがカエルになるときは尻尾の細胞が、人間の胎児では水かき状の指間細胞が死んで無くなります。これらの細胞は、発生途上の決まった段階で遺伝子のプログラムを作動させ、アポトーシス(細胞の自殺)をするのだそうです。
アポトーシスは、呼吸で吸い込んだ酸素の一部が変化した「活性酸素」などでDNAが傷つき、酵素(体内の化学反応を進める触媒となる物質)による修復が不能になったときにも起こります。
細胞が死ぬことで、皮膚の表面にはシワが寄り、髪の毛は薄くなり、細胞分裂をしない脳の神経細胞と心臓の筋肉細胞は、減る一方となるのです。
細胞は、酸素の欠乏や、火傷や毒物によっても死にますが、こうした事故死は「ネクローシス」と呼ばれます。この場合、死んだ細胞の中身が撒き散らされるので、周囲の組織に炎症が起きます。
【命の長さを計るろうそく・テロメアとは?】
人間の場合、脳と心臓以外の、普通の体細胞(生殖細胞以外の細胞)では約60回が分裂の限界で、無限に分裂するのは癌細胞だけだそうです。
染色体の両端には「TTAGGG」という、遺伝子としては役に立たない塩基文字が約一万文字も繰り返し並んでいて、その部分はグリム童話にある「テロメア=命の灯火」に譬えられます。テロメアの部分は、まるで命の残り時間を示すかのように、細胞分裂を繰り返すたびに短くなるからです。
人間の細胞の場合は、およそ60回も分裂してテロメアが短くなると、分裂を止めてしまいます。そのため、新しい細胞が補充されなくなり、次第に老化してゆくのだそうです。
老化の「仮説」は他にもありますが、長生きの条件は、長寿の遺伝子を持ち、バランスよく栄養を摂り、精神的に生き生きと暮らすことのようです。
【人間は何歳まで生きられるのか?】
日本人の平均寿命は女性84歳、男性77歳で世界一ですが、世界の確かな記録による最長寿者は、平成九年(一九九七)に亡くなった南フランス・アルル地方のジャンヌ・カルマンさんで122歳でした。
世界の平均寿命は年々伸びていますが、不思議なことに最長生存齢は、ローマ時代から約110歳で全く変化していません。天理教の教祖が「百十五歳定命」と教えられたのは驚くべきことです。
【脳死は人間の死なのか?】
「脳死」の問題は、生命維持装置の人工呼吸器(レスピレータ)が発明されたことにより、発生しました。
脳幹の呼吸中枢機能が完全に停止し、脳細胞の壊死が進んでいても、人工呼吸器により、呼吸と心臓の拍動が一定期間続くのです。そこで、まず「いつ人工呼吸器をはずすのか」という「尊厳死」の問題が生じ、次いで、臓器移植技術が進歩したことにより「いつ脳死を判定し、臓器を取り出すのか」という「臓器移植と脳死」の問題が論じられています。
現時点では、肝臓と膵臓と肺は生体か脳死者から、心臓は脳死者からの移植しか出来ないからですが、「意図的に死を定義すること」自体が問題です。
現行の判定基準による「脳死」は専門医にしか分からず、宣告を受けた家族が「温かい肉体」を「死んでいる」と納得することは困難でしょう。せめて、脳血流が停止し脳細胞が死んでいる事実を、家族が映像や写真などで確認することは無理なのでしょうか。さらに、脳死者に対しては、充分な死者儀礼が尽くせるような配慮が強く望まれます。
【「死」は「出直し」なのです】
天理教では、死ぬことは親神様からお借りした体をお返しし、また新しい体をお借りして生まれ替わってくるための「出直し」と教えられます。
この道を深く信仰された先人には、今生に親神様から頂戴した数々のご守護にお礼を申し上げ、多くの人々の真心に感謝し、来生も親神様の御用にお使いいただきたいとの希望に満ちた、素晴らしい「出直し」をされた方々が、多数おられます。
親神様の身の内 臓器移植とクローン
【脳死による初の臓器移植について】
平成九年六月「臓器移植法修正案」が成立。「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたもの=脳死」となり、本年二月には高知県内の44歳の女性から、日本で初の脳死状態での臓器移植(心臓、肝臓、腎臓、角膜)が大阪・長野・宮城・長崎の四ヵ所の病院で実施されました。 しかし、昭和43年(一九六八)札幌医大で和田教授がおこなった日本初の心臓移植は、臓器提供者(ドナー)と臓器移植を受ける人(レシピエント)に対する密室二重殺人の疑いがきわめて濃厚であり、この不幸な事件が移植医療に対する国民の不信感を根強いものにしてしまったことは事実です。
■死者の尊厳は守られるのか=天理教式の葬儀では、遷霊祭(みたまうつし)が重要ですから、脳死判定から臓器摘出までの間に「うつしの儀」だけはすべきかと思います。本年二月の臓器移植の場合、二回目の脳死判定が28日午前1時40分、種々の手続きが終了して臓器摘出手術が開始されたのが同日の午後3時07分ですから、遺骸から霊様を霊璽にお遷しする時間は十分にありました。
■移植手術は安全か=臓器提供者は、原則として心臓=50歳以下、肝臓=60歳以下、腎臓=70歳以下で、健康な臓器が望ましく、血液型やHLA(白血球抗原)、臓器のサイズなどが適合しなくてはなりません。 心臓と肝臓の移植を受ける人は、余命一年以内と予想される患者で60歳未満。しかも、臓器が生着しなかった場合、腎臓なら人工透析に戻れますが、心臓と肝臓は再移植しか生存の方法はないのです。
■手術の費用は誰が負担するのか=脳死による臓器移植には一千万円単位の高額な費用が必要とされますが、日本では、健康保険の適用や、支払い方法の優遇などの問題が未だに不明瞭です。
脳死による臓器移植の問題は、余りにも複雑で難解で未解決の部分が多すぎます。さらに広い分野からの英知を集め、検討しなくてはなりません。
【人工臓器の可能性は?】
人工臓器なら、脳死判定や「腎臓移植ツアー」による臓器売買など、生命倫理の問題は激減します。
現在、白内障などで濁った水晶体に代わる眼内レンズ(人工水晶体)で光を取り戻した人が30万人で、人工腎臓(透析装置)の患者数は11万人。心臓の人工弁や人工血管も多く使われ、人工心臓は日本でも開発中。人工肝臓の開発はこれからです。
【免疫抑制剤と人体の不思議】
人体には、病原菌など異物を排除する免疫の働きがあり、他人の臓器も異物として攻撃するため、臓器移植では逆にこの免疫が大きな障害となります。昭和53年(一九七八)免疫抑制剤・サイクロスポリンが使用されて以来、移植成績は飛躍的に向上しました。ただし、免疫抑制剤は両刃の剣で、臓器の生着に有利な一方、肺炎などの感染症に罹りやすくしてしまいます。
不思議なことは、胎児と胎盤は母体にとって異物なのに、280日もの間子宮の中で育て、出産の時になるまで排出しないことです。この秘密が分かれば画期的な免疫抑制剤が出来るのかも知れません。
【クローン羊のドリーの体は六歳?】
平成九年(一九九七)二月イギリスで、メス羊の乳腺細胞を、別のメス羊の核を除去した卵細胞に融合し、クローン羊のドリー嬢が生まれました。 巨乳のカントリーシンガーの名前を貰ったドリーは、それまでのクローン牛などと違い、完全にオスなしで生まれたのですから、その衝撃は世界を駆け巡りました。ところが今年の四月、ドリーのテロメアを調べると、乳腺を取り出した六歳の羊とほぼ同じ長さで、その細胞はすでに老化していたのです。
クローンとは「挿し木」の意味で、その技術は広く用いられていますが、心を持った人間への適用は、いかなる条件のもとであっても、絶対にしてはならないと思います。
八つのほこり(埃)
【蒔いた種が生える】私達の体は、親神様からの「借り物」ですから、親神様の教えに添って使わせていただくことが肝心です。日々結構に暮らせるのも、難儀不自由を嘆くのも、みな銘々の心遣いから蒔いてきた種が芽生えた結果であります。蒔いた種は生え、蒔かぬ種が生えることはないのです。
【心のほこり(埃)】人間は、浅はかな人間心から何事も自分の勝手になると思い誤り、自分一人の苦楽や利害にとらわれて、陽気ぐらしを望まれる親神様の親心に背く心を遣いがちです。
こうした心遣いは、ほこり(埃)にたとえて戒められていますが、この心のほこりが積もり重なりますと、心は曇り、親神様の守護が欠けて、身上の悩みや憂い災難に苦しまねばならぬようになります。
せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく 五号 9
【神を箒として胸の掃除を】元来、ほこりは吹けば飛ぶようなものですから、早めに掃除をすれば、きれいに払うことができますが、油断をしていると不知不識のうちに積もり重なり、拭いても掃いても取り除き難くなるものであります。同じように、ほこりの心遣いについても、親神様の教えを定規として、つまり「神を箒として」我が心を反省し、絶えず胸の掃除につとめることが大切であります。
ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや 三号
【心遣いを反省するための基準】ほこりの心遣いを反省するための基準としては、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八つが示され、更に、うそとついしょ(追従)も戒められています。なお、この八つのほこりというものは、聞きよう取りようで間違うものでありますから、よく聞き分けて、間違いのないよう悟らせていただかなくてはなりません。
一、をしい(惜しい)
心の働き、身の働きを惜しみ、当然出さねばならないものを出し惜しむ。世のため人のために相応のつとめを欠き、借りたものを返すのを惜しむ。汚いことは他人にさせて、自分は楽をして暮らしたいと思う心。こうした心遣いはすべて天理に適わぬ出し惜しみのほこりであります。
二、ほしい(欲しい)
心もつくさず身も働かずに金銭をほしがり、良いものを着たがり、良いものを食べたがる。女を見ては女をほしがり、男を見ては男をほしがり、着物でも、あるが上に殊更に選り好みしてほしがる。こうした心はよろしくありません。
これは、あたかも咲いた花を折って生け花にするようなもので、一時は楽しめても、やがて花は散り自然に枯れるようなことになります。何事もたんのうの心を治めるのが肝心であります。
三、にくい(憎い)
自分のために注意してくれる人を、かえって悪く思い、その人を憎む。養子を憎み、嫁を憎む。人の陰口を言ってそしり笑い、その場で出来た罪を憎まず人を憎む。こうした心遣いはほこりであります。
四、かわい(可愛い)
我が身さえ良ければ他人はどうでもよいと思い誤り、我が身を立てるため人の悪口を言う。
我が子の愛にひかされ、悪い行いも意見せず、食べ物、着物の好き嫌いを言わせ、嘘を言うことまで教える。男の子も女の子も、物事の良し悪しを教え、仕事を仕込む時期に、気侭に遊ばせておくのはよろしくありません。こうした心遣いはほこりであります。
我が身、我が子が可愛ければ、人の身、人の子も可愛がらねばなりません。
五、うらみ(恨み)
我が顔をつぶされたと人を恨み、我が望みを妨げたと人を恨む。誰がどう言ったと人を恨む。自分の知恵・力の足らぬことや、徳の無いことは棚に上げて、人を恨む。こうした心遣いはほこりであります。
人を恨まず、自分の身の至らぬことを恨むがよろしい。
六、はらだち(腹立ち)
人が悪いことを言ったと腹を立て、誰がどうしたとて腹を立てるのは、自分の言分を立て、人の気持ちを分かろうとせぬからで、こうした心遣いはほこりであります。
腹の立つのは、気侭からである。楽すぎるからである。心が澄まぬからであります。腹を立てる前に、天の理をよく思案するがよろしい。短気、癇癪は我が身の徳を落とし、命を損なうことさえあります。
七、よく(欲)
人の物を盗む。人の物を取り込み、人をだまして利益を奪い取る。女に迷い、男に狂い、男女の情愛に溺れるのは色欲。人の物をただ我が身に付けるのは強欲。こうした心遣いは皆ほこりであります。
八、こうまん(高慢)
知恵も力も徳も無いのに、思い上がって高慢となり、我が身を自慢し、人を見下す。金の権力をもって人をたたき付ける。自分は偉い、賢いと思うから、人をあなどり、人を踏み付けにするのです。知らぬことも知った顔をして、人の欠点を探す。こうした心遣いはほこりであります。
この他に、口先は奇麗で芯の心の汚い、うそとついしょ(追従)の二つもほこりであります。
世の中で、家を潰し、世間を騒がせ、身を滅ぼすのは、皆この心のほこりが原因であります。一人の憂いは家族中の憂いとなりますから、このお話は一人々々がよく聞き分けて、忘れぬようにせねばなりません。
【十五歳までは親々のさんげ】また、数え十五歳までの子供の病み煩い不時災難は、親々の心のほこりを子に現してお知らせくださいます。十五歳からの憂い悩みは本人の心のほこりの現われであります。
【ほこりに気が付いたら】このほこりの心遣いを日々月々年々積み重ねて、悪しき種を蒔くから身に悪しき姿が現れて、難儀不自由し、病まねばなりません。もし自分の心に思い当たることがあれば、親に話をするように親神様に申し上げてさんげし、癖性分や心得違いを改めるようにせねばなりません。
【晴天の心で】心のほこりが掃除され、曇りの晴れた「晴天の心」が親神様の心に叶い、身も心も健やかにご守護いただけるのであります。これからは、親神様がお望みくだされる誠真実の心となって、人のものを欲しいと思ったり、羨ましいと思ってはなりません。
身も心もよく働いて、惜しむ心を出さぬよう。腹は立てぬよう。欲は出さぬよう。包み隠しはせぬよう。
女に迷わぬよう、男に狂わぬよう。大酒は飲まぬよう。
欲と高慢出さぬよう。嘘と追従言わぬよう。 心の慎み、身の慎みが誠。
家庭では親の心に背かぬよう。十分にたんのうして親孝行を尽くし、 兄や姉を敬い、弟や妹を慈しみ、夫婦は仲良くし、子供には良いことを教え、悪しきことは戒め、世界中一れつの人間は皆兄弟でありますから、互い互いの仲睦まじく、互いに立て合い、何事をするにも身びいき身勝手は出さぬよう。
世間から見ても「あそこの家庭は本当に仲睦まじい」と言われ、「成る程感心な家である」と思われるようになれば家族も嬉しく、親神様もお喜びになって、結構にご守護くだされるのであります。
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八つのほこりの理
(欲しい・惜しい・可愛い・憎い・恨み・腹立ち・欲・高慢・うそ・追従)
『正文遺韻抄』(P170より:現代文に書換)
「欲しい」というほこりは、
分限に過ぎたるものを欲しいと思い、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見ては欲しいと思い、
すべて、我が身分を思わず、たんのうをせずして、欲しい欲しいという心がほこりでございます。
例えば、分限に過ぎたものというのは、おおよそ皆それぞれの、身分相応と言う事があります。百姓は百姓らしく、月給取りは月給相応の身なり、くらし方をせにゃならん。学生は学生らしくせにゃならん。同じ学生と言えども、それぞれの財産と境遇とによってそれ相応の程度にせにゃならん。しかし、何ほど財産があると言えども、学生はその学生たるの分限を守らなねば、ほこりであります。
例えば、良い服を欲しいと思い、又はよい器具を欲しいと思って求めたり、学生には不必要な物を求めるのは、たとえ与えがあるとしても、程度の過ぎたもので、ほこりでございます。なぜならば、ほかの同じ学生にほこりをつけさせます。すなわちそれは、我さえ良くば良い、という事になりましょう。これは大いなるほこりの根源で
あります。
また、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見て欲しいと思う事は、例えば友達が時計を持っていると、自分も欲しいと思います。また、人がものを食べているのを見ると、自分も欲しいと思います。これはもっともな事で、だれでも同じ人情でございます。けれども、めいめいに与えがあるとか、無いとかいうことは、天のさい配であって、めいめいのいんねんからで、決して人をうらやむのではない。心を治め、たんのうをして、欲しいと思う心をさらりと捨ててしまわにゃならん。
何事についても同じ事で、欲しいと思う心がわいても、自分の身を振り返り、ふところを探り見て、求めるだけの理が無い時には、さらりとその心を捨ててしまえば、ほこりの理は残らないでしょう。しかし、この欲しいと思う心の理がこもって、捨ててしまう事ができなければ、悪い行いにもなって来るのであります。また、行いに現れなくても心の不平不足となり、不足の理が積もり重なれば、身の不足となります。ゆえにほこりであります。
もしも、身分不相応なものや、与えの無いものに、欲しいと思うところから、次々と求めますと、人には損をかける。内々には波風が立つ。様々なほこりが生じるましょう。また、それがだんだん長じて来ますと、人に損をかけるのも何とも思わず、借りたものはもらった物のように思い込み。内々のなげき、口説きも、全く心にかけ
ないならば、人をペテンにかけ、生みの親をペテンにかけてまでも、我が欲しいの妄念(もうねん)を遂げるようになり、果ては、盗みもする、詐欺もするようになるのであります。
そうなればもはや、法律の罪人でございますが、そうなる元といえば、罪とも咎(とが)ともいえぬ、ただささいな欲しいという凡人の心であります。
よって身分を思わず、懐を考えず、むやみに欲しいという思い、念を起こすことが欲しいのほこりでございます。
「惜しい」というほこりは、
治めねばならぬものを惜しいと思い、かやさねばならぬものを惜しいと思い、人に貸す事を惜しいと思い、ぎりをするものを惜しいと思い、人に分配する事を惜しいと思い、難渋に施すものを惜しいと思い、人のために暇を費やすのを惜しいと思い、 すべて出すべきものを惜しいと思うはもちろん、人の助かる事、人のためになる事に費やす物事を惜しいと思う心がほこりでございます。
又、身惜しみと言う、横着な心も惜しいのほこりと聞かせて頂きます。この惜しいという心がありますから、人を助けるということもできません。返すものはだんだん延びる、返礼は薄くなる、納めねばならぬ金銭も怠る、義理を欠く、人が物を貸してくれと言えば、あるものも無いと言ったり、空いているものもふさいでいると言った
りして、うそをつくようになる。こうなれば、だんだん恩を重ねるばかりで、人には悪く言われ、けちんぼなどとそしられて、人のほこりのためにもなります。
また、出すものは出し、やるものはやりながらも、この惜しいという心のために、理を失ってしまう事がしばしばあります。例えば、人に物をやっても、もっと少しにすればよかったと思ったり、神様へお供えしてもああ惜しい、お供えしなければよかったと思ったり、物を買いましてもせんど値切って、向こうが負けると言うと、もっと値切ってやればよかったと思ったり、惜しいけれども義理で仕方がないと思って出したりする事がしばしばありましょう。
こういう心遣いでは、せっかく出しながら、心で取り返してしまう理で、何にもなりません。そこで神様は、そういう心を出すものは、人は受け取っても、天が受けとらんと聞かせられます。丁度、種をまいてすぐ掘り返しているようなもので、労して功なしでございます。そしてまた、事によっては、大層惜しいと思いますが、惜しい
と思っても取り返しがつきません。そして惜しい惜しいの心が残念となり、心の悔やみとなって、ついに気が狂ったり、病が出たりする事も、しばしばあることでございます。
これは、惜しいという凡人の心のために、我がと我が身を殺すものと言わなければなりません。また、身惜しみ、骨惜しみという事も同じことで、例えば、どのような勤めをしているとしても、心で満足せず、つらい、うたてい(方言?)と思って嫌々(いやいや)した分には、天のお受け取りはございません。すなわち、労して功なしで、やはり恩を被るような理になります。そういう心遣いである者は、人のいる前では働くような振りをして、人のいない所ではなまくらをするに違いありません。そんなものが、人のためになる事が出来そうな事はありません。いささかな骨折りで人の喜ぶことや、または、物が粗末になる事があっても、だれかがするだろうと思って放っておく。ちょっと一足そこへ出て、捨てて来れば片付く事でも、不精にして、放っておいて、だれかしてくれるだろうと思っている。互いにそういう心では横着の勉強をしているようなものです。
人間というものは、心も体も動かさずにはおられないものです。働いて楽しむように出来ています。それなのに、心が不精になり、身が横着になりますと、神様のご守護も不精になり、横着になります。一時によい働きをしようと言ったとしても出来そうなはずはございません。一生「使いにくい人や、頼みにくい人や」と言われて、の
らりくらりして果ててしまって、この次の世に持ち越す理は、恩をきた理ばかりでございます。横着の心というものは出易いものですから、よくよく注意をしなければなりません。
「可愛い」というほこりは、
可愛いという愛情のないものは無い。しかし、その愛情に引かされたり、おぼれたりする愛着心と、今一つだれ彼の隔てをして、その者に限り別段に可愛いという偏愛心とがほこりでございます。
例えば、我が子の愛情におぼれて、身の仕込みも十分せず、心のしつけも厳しくせず、気まま勝手に育てて、成人した後に後悔するような事もしばしばあることでございましょう。また、我が子のあやまちを人の子に塗り付けたり、人の子の手柄を我が子に横取りしたりするような、目のくらんだ親も無いとはいえません。また、我が子の愛情に引かされて、自分のつとめを怠ったり、身分不相応なものを求め与えて、罪を作ったり、はなはだしい事には、我が子可愛いために、人の物に手をかけたり、悪い了見をおこしたりする者もしばしばありましょう。
また、この愛情は、子供の上ばかりではありません。女の愛におぼれて、大事なことも打ち捨てて、家をつぶし、身を反故にするものも、しばしばございましょう。
大きく申せば国家のために忠義をつくす人でも、一夜の間にも、女の愛にほだされて、不忠不義の人となったためしも少なくはないでしょう。これらは、ただ我が身を反故にするのみではありません。家をつぶせば、家内の者を困難の淵に沈めるのであります。国家のためにあやまれば、国の人びとに災いを及ぼすのであります。どれだけ大きい罪とも知れません。
また、この可愛いという凡人の心のために、前申しましたような行いは致さなくとも、可愛い可愛いの心から我が心を苦しめ、先あんじや、嘆き、口説きを重ねて、自ら我が心や身上を病む親も沢山ございます。こういう凡人の心が、お話しの理によって自らのいんねん、事情を聞き分けて、神様にもたれるという安心を定めて、発散しなければなりません。
また偏愛というのは、例えば大勢の子供を預かっても、皆同じように心をかけずに、その中の一人二人を別段に愛すると言うような事や、または、我が子のある中へ人の子を預かって育てたり、まま子を育てる事があった時に、我が子のみを可愛がり、我が子にはよいものを与えて楽をさせ、預かり子やまま子には悪いものを与えて、辛い事をさせるというような、へだてて可愛がるのがほこりでございます。
そういうふうに致しますと、皆心がひがみ、心がいがんで、絶えず争い事が生じて、互いにむつまじく通ることは出来ません。そこで多くの人間を悪く仕込むことになってしまいます。それはどれだけの罪とも知れないでしょう。第一に、こういう隔ての心は、天の理にかないませんので、偏った愛情は心にもたず、一列同様の愛情をもって、愛着心を生じないよう通らせてもらわなければなりません。
「憎い」というほこりは、
我の気に入らん、またはむしがすかんと言って、罪なき者を憎いと思い、粗相をしたり、過ちがあったからと言って憎いと思い、我に無礼だとか、失礼だとか言って憎いと思い、すべて、おのれの気ままな心、邪険の心から人を憎いと思うがほこりであります。
例えば、姑が嫁を憎いと思うことは、まま親がまま子をいじめるようなものでございまして、これは邪険と申せましょう。この邪険の心、勝手、気ままの心が憎いというほこりを助けて、われの憎いと思う者へは荒くあたり、きつくあたり、無理を言い、与えるべきものも与えず、他の者は喜ばせながら、その者には泣かせるようなことをする。
あるいは、良いことがあっても、それはおくびにも出さず、少しでも悪いことがあれば、針ほどの事でも棒ほどにして、その者の事を悪く言います。あるいは、大勢の中で恥をかかすような事も致します。他人の目から見ても、むごい人や、非道な人やと言われるようになる。
こういう邪険なわがままの人に限って、一寸した事に憎いという心をわかす代わりに、また一寸した事に可愛いという隔ても致すのでございます。一列兄弟、皆可愛いという心を持って、例え過ちがあろうとも、自分に失敬な事をされようとも、悪いところは改めさせるようにして、人を憎いと思う心は沸かさないようにしなければなりません。
「恨み」というほこりは、
おのれの思惑を邪魔されたと言って恨み、人を不親切だと言って恨み、人の親切もかえってあだにとって恨み、人の粗相も意地でしたようにとって恨み、 すべておのれの悪い事を顧みず、人を恨むはもちろん、いんねんの理からなるという理を悟らずに、ただ人を悪く思って恨むのがほこりとなります。
例えば、自分が出世出来そうになったところを、他の人が登用されたために出世出来ないようになると、あの奴が邪魔しやがったと思って恨む。そうではありません。自分よりもその人のほうが事が出来るからです。
また、たとえ自分の方が事も出来、登用されるべき順序にあったとしても、いんねんという理を心に治めたならば、たんのうして、ますます慎み、行いを改めなければならないはずであります。ところが、あいつがいたために、あいつが邪魔したためにと誤解して、その者を恨む、これは大きな間違いでございます。
また、自分が心をかけた女を、人が取ったとか、または、女が他の男に心を寄せたとか言って、その女も男も共に恨み、自分が心得違いをしておったのだと、改心するところへ気が付かず、人を恨んで、その結果がケンカ、口論となり、はなはだしいことには、殴りつけたり、刃物で刺したりして、ついには殺害するに至る。恨みの刃を
振りかざす例は、古今東西絶える事のないありさまで、誠になげかわしい至りでございます。
また、小さい事で申したなら、「あの人がこう言ってくれればよいのに」、「言いようが悪いために、私は人に悪く思われる、不親切な人だ、憎らしい人だ」と心を沸かす。
また、人が自分の過ちを親切に忠告してくれても、悪く取って、「あいつがいまいましい事を言いやがる。今度奴の穴を探して仕返ししてやらなければならん。」などと思って、心中大いに恨んでいる。あるいは、人が粗相で自分の器具などを傷つけても、「あいつが粗相をするなんて、これは意地からしたに違いない、ひどい奴だ」と胸に持つ。
こういうような取り違いをして、日々ささいな恨み心を起こす事が数々あるのでございます。これは、心ばかりのことで、目にも見えませんが、これがほこりと聞かせられますので、積もり積もって身上に迫るようになります。
「腹立ち」というほこりは、
人が自分の気に入らぬ事を言ったと言って腹立ち、間違った事をしたと言って腹立ち、粗相をしたと言って腹立ち、自分の気が面白くないために、ささいな事にもむやみに腹立ち、 すべて、広く大きい心を持たずに、堪忍(かんにん)辛抱をせずに気短な心から腹を立てるのがほこりでございます。
例えて申しますならば、親が着物を用意してくれましても、自分は気に入らないと言って、むやみに腹を立て、むきになって、じだんだ踏んで怒るような子供もございましょう。
また、従業員や、家内や子供が、自分の気に入るようにしないと言って腹を立て、怒り散らして、「どうしてよいやら」と従業員や家内、子供がうろうろしなければならんような主人もございましょう。
また、目下の者が粗相でもすると、非常に立腹して、いたたまれないように怒り散らす人もありましょう。粗相は時の表裏(失敗と思っていたことが良いことになることもある)で、神様のなさる事と思えば、腹は立ちません。もし、自分が粗相をしたならどうでしょうか。黙って放っておくに違いないでしょう。
また、自分がなんとなく気が面白くないという時には、むやみに怒り散らしたり、ものに当たったり、道具を壊したりするような事もあります。あるいは、子供が言うことを聞かないと言って頭をたたいたり、小便をした、いたずらをしたと言って、ひどいめに合わせたり、子供は親の心通りのご守護という事を知らずに、むやみに腹を
立ててしかる親もあります。これはすべて腹立ちのほこりであります。
「欲」というほこりは、
人並よりは余計に我が身に付けたい、理にかなわなくても、人が許さなくても、取れるだけ取りたい、ひとつかみに無理なもうけ、不義な利益を得たい。あるが上にもなんぼでも(どれだけでも)我が物としておきたいというような心。
すべて、一般に欲の深い人やといわれるような心と、豪気強欲というような欲がほこりでございます。
この欲の心がありますと、人並みに物をもらっても、まだ不足に思い、どれだけあっても結構だと思えません。そこで、不足には不足の理が回ると聞かせられて、常に思うようになりません。思うようになりませんから、なお欲の心を強めるのであります。そして、欲の深い奴だと言われるようになるのでます。
そういう汚い心でありますから、人に分けてあげる物も自分は余計に取る。一割の利益が当たり前の商売でも、二割、三割の利益を得る。道に落ちた物は拾って自分の物にするばかりか、升目をかすめたり(量をごまかしたり)、田地(田畑)の境目を勝手に変えたり、勝負をしたり、相場をしたり、人が国のためとか、世のためとか言って、苦しんでいる中でも、自分はその機に投じて、莫大な利益をせしめようとしたり、貧民を苦しめて、絞り取って自分の懐を肥やしたり、そればかりか、色にふけり、酒におぼれて、色欲、食欲の強欲をとげるようになる。これが、豪気強欲でございます。
「高慢」というほこりは、
知らぬことも知った顔で通りたい、人よりも偉い顔して通りたい、自分の言い条は理が非でも通したい。人の言い条はなるべく打ち消したい。逆らいたい。人のする事には非を打ちたい。と言うような心、 すべて一般からあの人は偉そうにする人やとか、あの人は我が強い人やとか、言われるような高ぶる心や、強情な心が高慢のほこりでございます。
この高慢の心がありますために、知らぬことを知っているように言いくるめ、粗相した事も、あやまるのが辛いために隠したり、人がバカにしたとか、頼りないと言ったと言って、腹立てたり、悔しいと思ったりして、さまざまの心を作ります事は、女の方には日々にある事でございます。そうした心の苦しみは発散できなければ身上の苦しみになるのでございます。
また、この高慢心がありますから、器量がよいものは器量自慢という心が、知らず知らず胸に出来て、人を目下に見下すようになります。女性、子供の学生などを見ましても、同じ同等の生徒であるのに、器量のよいものは何事にも先に立ち、器量の悪いものはまるでお供のように見える。その言葉の使い方でも、器量がよいものが言う言葉は、女中、身分の低い者に使うような言葉であり、誠に見苦しい事であります。
これ、知らず知らずに器量がよいと言って、ほこりを立てたりするのであります。そうして、知らず知らずに心を奪われるのでありますから、よくよく注意をしなければほこりになります。
その他、何事も同様で、学生中でも少し出来がよいと、知らず知らず人に立てられるのにのってしまうのであります。
また、腕力が強ければ、腕力を持って人に自慢をする。財産のある者は、よいように見せて、よい物を持って、偉そうにします。それが、知らず知らず人を見下すようになって、知らず知らずにほこりを積むことも沢山ございましょう。また、自分の言い出したことは、間違った事でも何でも言い通したい。人の言うことを「なるほど」と言って自分の言い分を曲げる事が、大嫌いな性質の者もございます。
また、人が言い出した事は、良くても悪くても、一寸は逆らってみたいという性格の者もいます。また、人の穴を探して、非を打つことの好きな性格の者もございます。
また、目下の者と見ると、何を言うにもひどい言葉を使って、情をかけずに「自分のお陰だ」と恩に着せて、踏み付けるような性質もございます。こういう人に限って、上の人に向かうと必ず追従(ついしょう)もします。この性分というものは、なかなか直りにくいものでありますが、お話を聞いて、一つ一つ直すように心掛けなければ、結構に通る事は出来ません。
『ウソに追従これ嫌い、欲に、高慢大嫌い』と聞かせられまして、ウソ追従を言わない者はありません。また、欲と高慢のない人はございません。皆だれでも多いか少ないか心にありますから、行いに表れますので、ウソは言わんように、お追従はしないように、欲をかかないように、高慢を出さないように、日々注意することが肝心でございます。
人間の凡人の心では、人に悪く言われると気持ちが悪い。よく言われると気持ちがよい。また少しでも人の上に立つとか、人に立てられるとかすれば嬉しいものであります。また、人の下について通らなければならないとか、人にけなされるというと、いまいましく思うものでありまして、これはどうでも離れる事の出来ない、人情でございますので、自分もそうなら、人もそうなのです。ですから、人の事をけなせば、人も我がの事をけなし、人の頭を押さえたならば、人は反抗して我がの頭も押さえようとします。そこで互いに踏み付け合いをする事になります。そうなれば、内々もむつまじく通れないようになるのです。
だから、神様が互い立て合いと仰せられるのです。慢心(おごり高ぶる心)を出しては、互いに立て合う事が出来るでしょうか。人が失敗や、つまらないことを言ったり、したりしたならば、けなさずに教えるよう親切をかけ、悪いことを悪いとは言わず、違うことを違うとは言わず、「こうしたらどうでしょう」と言うように優しくして人を立てて、人の足らないところを補ってやるようにするのが、誠であります。
そこで神様が、「あの人は足らぬ人や、あほうな人やと言うならば、足りるよう、賢いようにしてやってくれ」と仰せられます。
人間は神様からの借り物ということを、聞き分けられたなら、足りぬ人やあほうな人を、笑ったりそしったりは出来ないでしょう。なぜならば、その足りぬとか、あほうだとか分かるのは、自分が神様のご守護を厚く頂いていればこそ分かるので、自分の力ではないのです。自分の力のように思うから、人が足らない事やあほうな事がおかしく見えるのであります。
そこで、「足らないものなら、足してやれ」と仰せられるのです。力を添えてあげなければならないのです。「あほうな者は賢くしてやれ」と仰せられるのです。同じように心を添えてやるより、他に道はございません。人間の力であほうを賢い者に出来ましょうか。決して出来る事ではないでしょう。
この理を聞き分けたなら、人を踏み付ける事も、ないがしろにする事も出来ないでしょう。この高慢の心は、積もり積もって、親をも踏み付けにする。主人をも踏み付けにする。そしてついには、理をも踏み付けにして、神様をないもの同様にするようになるのです。
そこで、ほこりという八つの中の、一番最後のトメに置いてお戒め下されたのでありまして、高慢は一番出やすくて、一番ほこりが大きいのでありますから、よくよく日々に注意しなければなりません。
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教会ではいつでも色々な悩みや相談を受けてきかせていただいています。
普段の生活での悩みや病気に関する心配や悩みについて一緒に考えおたすけさせていただきます。
ちょいとはなし 神のいうこと聞いてくれ
この世の 地と天とをかたどりて
夫婦をこしらえ きたるでな
これはこの世のはじめだし
なむてんりおうのみこと
<教会の月例行事>
元旦祭 元旦5時より
月次祭 毎月19日(4月は17日)
午後1時より
婦人会 毎月9日 午後1時より
春季御霊祭 3月9日
秋季御霊祭 9月9日
朝つとめ 午前6時 夕つとめ 午後6時
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